松川事件〜謎の累積(日向康 著) 1949年8月17日午前3時頃、東北本線松川〜金谷川間を走行中の上野行き普通列車が突然脱線転覆し、機関車乗務員3名が死亡した。現場検証の結果、レールの継目板がはずされ、枕木の犬釘が大量に抜かれており、複数の人間による明らかに計画的な犯行であることが判明した。 国鉄労組員10人、東芝松川労組員10人が逮捕され、5人に死刑、5人に無期懲役の判決が出されたものの、裁判の過程で全員の無罪が明らかになった。 戦後3大謀略事件の一つとされる松川事件について書かれた書。鉄道関係者などへ著者独自の取材を行っており、事故の状況など、現場の情景が目に浮かぶような記述です。列車編成表付き。後補機にD51がついていたことがわかります。 目撃者が殺されたりして、いまだに真犯人はわかっていません。 詳細はこちらへ→ 松川事件 謎の累積現代教養文庫. 古本もあるようです。→ 松川事件 謎の累積 (楽天フリマ) |
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昭和電車少年(実相寺昭雄 著) 実相寺さんといえば、東京芸大教授で、ウルトランマンのジャミラの監督としても有名ですが、実は相当な鉄道ファンでもあります。 この書は、彼が戦中戦後に出会った車両たちの思い出をつづったものですが、往年の名車がたくさんでてきます。特に全国の私鉄の電車に詳しく、当時の活躍ぶりを彷彿とさせます。 最近の車両にも言及しており彼によると京浜東北線の209系は名車だそうです。鉄道黄金時代の雰囲気を感じるには絶好の書です。 余談ですが、実相寺監督は、円谷プロの「怪奇大作戦」で、山陰本線のC57を登場させています。 詳細はこちらへ→昭和電車少年 単行本 |
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昭和の鉄道情景「活写」@A(いのうえ こーいち著) ある日、本屋を覗いたらこの本があり、比較的安かった(750円)のと写真が良かったので買ってしまいました(@の方)。 内容は70年代初頭の鉄道撮影記で、@巻はC62重連などの北海道と、東京近辺の機関区めぐりが収録されています。特にC62「ニセコ」に対する著者の熱い思いが伝わってきます。確かにあれほど迫力ある鉄道シーンは2度と見られないと思われます。 著者の「いのうえ こーいち」さん。どこかで聞いた名前だと思っていたのですが、たしか70年代に「鉄道模型趣味」に記事を書いておられたことを思い出しました。 A巻も出たので当然買いました。こちらは、布原の3重連や井笠鉄道など、中国地方の撮影記ですが、こちらも素晴らしかったです。 詳細はこちらへ→昭和の鉄道情景「活写」@ 昭和の鉄道情景「活写」A |
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両さんと歩く下町(秋本 治著) ご存知「こち亀」の作者、秋本治さんによる下町案内。こち亀の扉絵をふんだんに使っている。 こち亀は、なんと連載1400回になるそうで、その間に描いた扉絵だけでほぼ下町全域を網羅しています。 そういえば、私が中学のころ連載が始まったんだった。当時はファンでした。もう30年になるんですねえ。 秋本さんも鉄道好きなようで、扉絵の半分以上鉄道が描かれています。 亀有駅,新金線、お花茶屋駅、牛田駅、南千住駅、京成町屋駅、隅田川駅、三ノ輪橋駅、上野駅,堀切駅、博物館動物園駅、青砥付近、日暮里駅付近、西日暮里駅、柴又駅などなどが登場します。 実は私も曳舟、谷中、亀戸、千住、竹ノ塚と住んだことがあり、下町は熟知してまして、絵を見ただけで、場所がわかりました。 お話も、私も常磐沿線で育ったので、とても懐かしい話が多いです。例えば、南千住にあった東京球場(実際試合を観に行きました)、日暮里の駄菓子屋など。 詳細はこちらへ→ 両さんと歩く下町 |
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空白の5分間「三河島事故、ある運転手の受難」(三輪和雄著) 昭和37年5月3日、常磐線取手行き最終2117H電車(M運転士)は、東北本線の事故の影響で、定刻より2分30秒遅れて午後9時28分30秒に上野駅を発車した。 電車は日暮里を過ぎ、橋上駅の三河島に鉄橋を渡るときの金属音を響かせながら到着、やや遅れたまま発車した。電車は次第に速度を上げた。M運転士はいつの間にか貨物列車が左側に並んで走っているのに気づいた。それはよくあることで、貨物線から合流する貨物列車は赤信号で停止して電車を先に通す筈であった。 突如、M運転士は目前に前照灯に浮かび上がるD51蒸気機関車の巨体を見た。前方に輝く信号は青から赤に急変、彼はノッチをオフにし急ブレーキをかけ、カノピースイッチを引いた。パンタグラフは下がった。 先頭車(クモハ60)は機関車に激突、上り本線側に脱線しながら突っ走った。 1、2両目は大きく傾き、上り線をふさいだ。1、2両目の室内灯は消え、乗客は大混乱に陥った。貨物列車の機関士が赤信号を見落とし安全側線に突っ込んだのが原因であった。 M運転士は頭を強打し失神したが、乗客の助けを求める声に気づき、上り線側に乗客が降りるのを手伝った。しかしその時、上り上野行き2000H電車は時速80キロのスピードで現場に接近していた。 昭和37年に発生し、死者160人を出した三河島事件と、その後の裁判の経過を描いた作品。裁判では第一事故と第二事故の間の5分間に職員が上り電車の防護措置を全くとらなかった事の責任が問われた。 この事故を契機として、ATSなどの防護装置が全国で設置された。 しかし、2005年に発生した福知山線事故では、脱線事故の後、現場に接近していた下り特急を止めたのは地域住民であった。もし現場のカーブが左カーブで、住民の機転がなかったら、2重衝突事故になった可能性が高い。 私が子供のころ(昭和40年ころ)、常磐線の73系で東京に出る時、三河島駅の橋上部分に来るとき足が震えるほど恐ろしかった記憶があります(事故のことは知りませんでした)。現場に死者の怨念が残っていたのかもしれません。 |