福知山線事故について


  福知山線で発生した脱線事故は死者100人を超える大惨事となってしまいました。
  実は私、15年ほど前、事故現場に近い塚口に住んでいまして、福知山線はよく使いました。当時は103系や、113系が使われていたと記憶しています。また、遺体安置所となった尼崎市体育館の目の前に勤め先の会社がありまして、よくそこの食堂に食事に行ったので、当時のことが思い出されました。
 
 確か当時は塚口〜尼崎間は上下線が別れていたと記憶しています。片町線に直通するようになって線型が変わり、スピードが出るようになったのかと思われます。

 なお、このHPの表紙(DD51牽引客車列車)はそれよりさらに10年以上前の電化前の福知山線の写真です(武田尾付近)。こんな列車だったらあんな事故は起こりえなかったでしょうが。

 最近の鉄道車両を見ると、みんなステンレスの軽そうな車両ばかりで、悪く言えばブリキのおもちゃみたいな車両ばかりで、一旦脱線したら大変だろうなあと思っていた矢先の事故でした。

 
 こんなひどい鉄道事故を見るのは私も生まれて始めてで、三河島事故、鶴見事故以来の大惨事になってしまったわけですが、最近も私の家の近くの竹ノ塚で踏切事故あり、いずれも高速化、過密化に人間の意識が付いていけなくなったがための事故であるような気がします。


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